🌱はじめまして!
心のバランスを整える
メンタルエナジーアップセラピー
心理カウンセラー 伊南 はる香 です
これまでの人生で、多くの困難や別れを経験してきました。
それらを通じて、「心の整理」と「癒し」の大切さを学び、心理学やカウンセリングを通じて心の重荷を軽くする方法を探求してきました。
現在は、悩みや苦しみを抱える方々に寄り添い、一緒に解決策を見つけるお手伝いをしています。
あなたの心の声に耳を傾け、安心して話せる場を提供し、ともに新たな一歩を踏み出すサポートをさせていただきます。
心の奥にしまい込んでいた想いや、これまでの人生で経験した様々なエピソード。
それらを振り返り、言葉にすることで、新たな気づきや癒しが生まれることがあります。
私がお届けするのは、これまでの歩みの中で感じたことや得た気づきを綴ったストーリーです。
どんな小さな一歩であっても、心を軽くするヒントになれば幸いです。
💔母との別れ
悲しくて…寂しくて…
幼少期に親が離婚し、母親が家を出ていきました。私たちは母がなぜ出ていかなければならなかったのか、その理由を知らされることはありませんでした。
けれど、母が一度出て行けば、
もう戻ってこない——子どもながらに、それだけはわかっていたように思います。
悲しくて、寂しくて、「行かないでほしい」と心の中で何度も願いながら、その背中を追いかけていました。
母はタクシーに乗り込み、やがて車は遠ざかっていきました。
その場に立ち尽くしながら、私はただ泣いていたことを覚えています。喉の奥がひりひりと痛み、涙は止まりませんでした。

どこかで、もう受け入れるしかないと、あきらめの境地に達していたのかもしれません。
祖母や叔母が支えてくれたおかげで、私はなんとか毎日を過ごしていました。
悲しみも寂しさも
心の奥にしまい込みながら——
それでも、母の姿を夢に見る日は、きっと少なくなかったと思います。
「もしかしたら迎えに来てくれるかもしれない」そんな希望を、幼い心はまだ手放していなかったのかもしれません。
🕊父の命令…
「お母さん」と言えない私
やがて、父が再婚し、新しい「お母さん」となる人が家にやって来ました。
けれど、私の心はその人を「本当の母」とは受け入れられず、「お母さん」と呼ぶことに、強い抵抗を覚えていました。
父から「お母さんと呼べ」と何度も言われましたが、どうしても口に出せませんでした。
あるとき、足首をつかまれ、窓の外に逆さづりにされて怒鳴られたような記憶があります。
その出来事を境に、私はしぶしぶ「お母さん」と呼ぶようになりました。
そして、自分の心を押し殺すことに慣れていくようになったと思います。

💥苛立ちと逃れたい思い
父は胃潰瘍を放置し、継母にも隠していましたが、病状悪化で医師から入院と手術が必要だと告げられました。
生活費の問題も重なり、夫婦喧嘩が絶えず、家の空気は張り詰めていきました。

私は家事をこなしていましたが、少しでも手を抜くと厳しく叱責されました。
継母の『家事はやって当然』という態度に、苛立ちは募るばかり。
バイトの給料を奪われた時、
「もうこの家には絶対にいたくない」
と強い怒りと嫌悪感が胸に込み上げました。
就職を機に実家を離れる決心を固めましたが、就職先が決まるまでは耐えなければならない状況でした。
それでも、ついにその時が訪れ、実家を離れることができ、長年押し潰されていた重圧から解放されました。
「やっと、自由になれた——」
👶命の儚さと
暗闇に落ちていく悲しみ
まだまだ小さく、お魚のような姿。 でも、それは確かに、私たちの赤ちゃんでした。
愛おしさと喜びに満たされ、二人で新しい命の誕生を心待ちにしていました。
——それなのに。

妊娠3か月で、その小さな命はあっという間に消えてしまいました。
確かにあったはずの幸せが、突然悲しみに塗り替えられ、心にぽっかりと穴が空いたようでした。
病院の白い天井を見つめながら、何度も
「どうして?」 と問い続けました。
生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が聞こえるたび、胸が締めつけられ、息ができなくなるほどの苦しみに襲われました。
布団を頭からかぶり、声を押し殺して泣くしかなかった。おなかをそっと撫でても、もうそこには何もいない。
失った命を思うたび、底の見えない暗闇に落ちていくようでした。
忙しさの中で、時の流れが涙を閉じ込めていくような感覚。。。
あの小さな命のことを忘れることはない。
きっと、これからも——。
🌒遠ざかった父との日々と
閉ざした心
流産を経験しながらも二児に恵まれた私は、数年に一度、子どもを連れて帰郷していました。
しかし、継母への複雑な思いや仕事の忙しさもあって、父との連絡は次第に減っていきました。
やがて会話もほとんど交わさなくなり、気づけば父への感情も薄れていったのです。
その後、父は認知症を患い、さらにカテーテル治療が必要になったため入院することになりました。
その後、リハビリを目的とした転院当日には穏やかな様子だったと聞いていたのに、その夜、突然の訃報が届きました。
強い悲しみを感じていないはずなのに、涙が頬を伝い、止まっていた心の時間が静かに動き始めたのを感じました。
思い出が次々に蘇る中で、私はまた心のふたを閉じてしまいます。あまりにも距離があった父を、どこか他人のように感じていたのです。

忙しさの中で感情を遠ざけてきた私。
父との心の距離を埋められないまま別れを迎えた私は、抑えていた感情と向き合い、閉ざしていた心が静かにほどけていくのを感じていたのかもしれません。
🌿わだかまりを越えて
家族へ
父の死後、継母はひとり暮らしとなりましたが、年齢的に今後の生活は難しくなるだろうと感じた私は、支える覚悟を決めました。
しかし、若い頃から心の奥にあった継母へのわだかまりは消えず、
「なぜ自分が」
という思いに何度も心が揺れました。
そんな中、継母が圧迫骨折で入院し、実家での一人暮らしは困難に。私は近所のアパートを手配し、介護支援を整えることにしました。
渋々ながらも「これが自分の役目」と自分に言い聞かせていました。

生活準備の間、継母は私の家で過ごし、些細な言葉に昔の感情が蘇ることもありましたが、介護を通して少しずつ会話が増え、心の距離も縮まっていきました。
彼女の若い頃の話や、父との暮らし、弟との日々を語り合ううちに、わだかまりは次第に和らぎ、自然と気持ちが通うようになりました。
しかし、そんな穏やかな日々も長くは続かず、継母にがんが見つかり、余命3か月と宣告されました。
治療よりも穏やかな最期を選び、私は一人で決断を下し、緩和ケア病棟へ移しました。
毎日病室に通い、かすかにうなずくだけの継母のそばに寄り添う中で、過去の憎しみは消え、代わりに深い愛情と後悔が残りました。
「もっと早く、こうして寄り添えていたら」
——そんな想いが胸にこみ上げながら、最期の日を静かに見送りました。
今でもその孤独や無力感は消えませんが、共に過ごした日々、交わした言葉や笑いが、私の心に温かく残っています。
あのとき、ようやく私たちは“家族”になれたのだと、今はそう思っています。

🐾「すぐそばにいたのに」
愛犬との別れ
以前は愛犬がいました。
11歳のころ心臓の病気が見つかり、手術を予定していましたが、それを待たずに亡くなってしまいました。
その朝はいつも通り散歩に連れて行き、水と食事を用意しました。
けれど夕方、飲み水が減っていないことに気づき、様子を見ると、じっと座ったまま動こうとしませんでした。
呼びかけても反応が鈍く、胸がざわつきました。
動物病院に連絡すると、獣医師の切迫した声で「すぐ連れてきてください」と。
胸の奥に鋭い不安が突き刺さり、慌てて車に乗りました。
しかし、病院へ向かう道中、私の腕の中で息を引き取ってしまいました。

——すぐそばにいたのに、
どうして気づけなかったのか。
「もっと早く気づいていれば」
「もっと早く病院に連れて行っていれば」
そんな後悔が、何度も何度も私を苦しめました。大切な命を守れなかった自分への怒りと悔しさが、今もふとした瞬間に胸を締めつけます。
名前を呼んでも、もう応える姿はありません。今でも、ときどきいつもの場所に愛犬が座っている気がして、思わず名前を呼んでしまいます。
けれど、もうその姿はありません。
それでも時折思い出す足音や鳴き声が、愛犬が私にくれたあたたかな時間を思い出させてくれます。
🧬がんの告知と決意
愛犬を失った悲しみが癒えない中、自分の体に違和感を覚えるようになりました。
検査の結果、医師から告げられたのは
「がん」という言葉でした。

「まさか自分が」「やっぱり…」
「自分も死ぬのか」
——驚きと不安で頭が真っ白になり、
恐怖が押し寄せました。それでも
「まだやるべきことがある」
「家族に頼られている」
という思いが、心の支えとなりました。
希望を抱いて手術を決断しましたが、そこに至るまでは抗がん剤治療という過酷な試練が待っていました。
28日周期で3回、1週間連続の点滴。
最初は耐えられたものの、日が経つにつれて味覚が失われ、髪が抜け、不安と葛藤が心を揺らしました。

それでも「手術の後は体の回復とともに楽になれる」と信じ、覚悟を決めました。
🌅術後の現実と
心に向き合いながら
手術は8時間にもおよび、目覚めたときには管がいくつも体を通っていました。痛みや不自由さに耐えながらの入院生活。
退院後は食欲が落ち、体力も体重も減少。切除部位の内臓の違和感も消えず、日常は大きく変わりました。
誰かに辛さを伝えたくても、毎回口にするわけにはいかず、我慢する苦しさだけが募ります。
心の奥に沈む感情の置き場がわからず、ただ時間が過ぎていく毎日。
「この辛さはいずれ和らぐのでしょうか」と尋ねても、
医師の答えは曖昧でした。どうやら、この身体と一緒に生きていくしかないようです。
それでも朝は来る。
たとえ昨日と同じ痛みがあっても、過去の悲しみも、今の体も受け入れながら一日が始まります。
「手術の後は体の回復とともに楽になれる」と信じ、自ら望んだ選択でしたが、もし選ばなかったら
——そんな問いが、今も頭を離れません。
💬言葉にすることで
心が軽くなる
将来への不安、「私なんか、生きている意味があるんだろうか」という絶望にも似た問い——
そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡り続けていたある日、私は心理学と出会いました。
心理学を学び始めると同時に、私は自分自身のためにカウンセリングを受ける決心をしました。

カウンセリングを通じて、私の心にはこんな変化が起こりました。
💫カウンセリングで得た心の変化:
🔹自分の感情を言葉にして吐き出すことで、心が軽くなった
ぐちゃぐちゃに絡まった感情を、言葉にして吐き出すことで押しつぶされそうだった心が少しずつ軽くなった。
🔹涙を流すことで、閉じ込めていた悲しみや辛さを解放できた
カウンセリングの最中、止めようもなく涙があふれ、閉じ込めていた悲しみや辛さを、ようやく外に出すことができた。
🔹忘れていた過去の感情を受け止め、本来の自分を取り戻すことができた
ずっと奥深くに押し込め、存在すら忘れていた痛みや寂しさにそっと触れ、受け止めることができた。
🔹考え方次第で、心のあり方や行動が変わると知った
「考え方を変えるだけで、行動も気持ちもこんなに変わるんだ」ということを、身をもって知ることができた。

カウンセリング中、
声にならないほど溢れる涙と一緒に、
「ずっと寂しかった」
「わかってほしかった」
「本当は助けてほしかった」
そんな心の叫びを、私は言葉にして吐き出しました。
忙しさに紛れながら、誰にも見せず、誰にも頼らず、悲しみも辛さもすべて自分の中に押し込めてきました。
「前を向かなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」
そうやって自分を励ましながら、無理にでも笑顔を作って、心の奥の感情にはそっとふたをして生きてきました。
でも、その頑張りが、逆に自分の心を追い詰め、いつの間にか、何をしても苦しみから抜け出せなくなっていたのです。
初めて、自分の心にのしかかっていた重みを自覚しました。それを認めるのは、怖くて怖くてたまらなかった。
でも、逃げずに少しずつ向き合うことで、私は「本当の自分」と再会する道を歩き始めました。

思い出すのも怖かったあの日々。
封じ込めていた感情に触れるたび、痛みと同時に、かつての自分を取り戻していくような感覚がありました。
それでも、ふとした瞬間に虚しさが襲ってきます。思うように動けない自分に、焦りや戸惑いを覚えることもあります。

そんなときは、無理に奮い立たせるのではなく、立ち止まり、自分の心に寄り添い、
「大丈夫だよ」
と優しく声をかけるようにしています。
カウンセリングを通して、私は知りました。
考え方ひとつで、人生は少しずつ変わっていける。どんなに小さな一歩でも、確かに未来へ続いている。
この経験を、今度は
心の痛みを抱える誰かに届けたい。
悲しみ、苦しみ、孤独感。そのすべてを「なかったこと」にしないで、一緒に抱えながら、生きる道を見つけていく——
そんなカウンセリングのサポートを、私はしていきたいと思っています。
🌈小さな一歩が
未来を変える
生きているからこそ、痛みや辛さを感じることもあります。
その痛みは時に胸を締めつけ、辛さは心を冷たい闇の中に閉じ込めるように感じられるかもしれません。

悲しみや怒りに囚われて、まるで深い霧の中で足が動かないかのように、身動きが取れなくなることもあるでしょう。
それでも、その痛みや辛さを感じるということは、**「まだ歩いていける」**という証なのかもしれません。
心の奥底に微かな温もりを抱えながら、一歩ずつ道を探して進んでいく——
その力がまだ自分の中に残っているということ。それは、どんな困難の中にいても前に進む可能性があるという希望のしるしです。
けれども、一人でその重荷を抱え続けるのは、とても辛いことです。
心の中にある言葉にならない思いを誰かに話すことで、少しずつ解放されることもあります。
もしその感情を抱えているのなら、カウンセラーに相談してみませんか?
あなたの心の声を、静かに、優しく受け止めてくれる人が、きっといます。

カウンセリングは、悩みを解決するためだけの場所ではありません。
自分の気持ちを整理し、心を軽くしていくための時間でもあります。どんなに小さなことでも、大丈夫です。
「こんなこと話してもいいのかな?」と思うようなことでも、あなたの気持ちを大切に受け止めてくれる人が、ここにいます。
思いを言葉にするだけで、少し前に進めることがあります。
どんなに小さなことでも、
今日できることを一つずつ。
ゆっくりでも、確実に前へ。
今のあなたにできることがあるとしたら、
それは、「誰かに話してみること」かもしれません。
あなたの心に、そっと寄り添ってくれる人がいます。
「喪失=終わり」ではありません。
喪失を経験したからこそ、見つけられる人生の価値や意味があります。
その気づきを大切に、新しい希望を持ち、
自分らしく生きられるよう支援します。